命の循環、母の生きた証
夏休みをいただき、帰省しておりました。
先日、母親の四十九日の法要がありました.
父親が高齢のため,私は施主を代行し,法要の段取りをさせていただきました.
お寺様は祖母の代から私たちを見守ってくださっている住職の息子さんです.
穏やかな語り口です.
「日々,生きていることに感謝しましょう.明日,何が起こるかわからない世の中だからこそ・・故人様の功徳でみんなこうして集まることができました.共にこの邂逅を喜びあいましょう.」
お寺さん自身も、3年前に母親を失くされ、今も「もっとこうしておけばよかった・・」と色々思われることがあるようです。お焼香の作法も教えていただきました.
宗派によって,お焼香を行う回数, まく量, 手の置き方などが違うそうです.
故人の宗派ではなく,自分自身の宗派の作法でお焼香して良いとのことでした.
また,宗教が異なる場合は,無理にお焼香しなくても良いそうで,一礼のみで次の方へ回して良いとのことでした.
私が子供のころ, なぜ四十九日の法要をやるのか,全く理解できませんでした.
けれど,今になって思います.
法要は単に故人のためだけではなく,残された私たちのグリーフを少しずつ昇華してゆく儀式なのではなかと思うのです。法要で故人の生前の姿に思いをめぐらせ,人生を共に生きた思い出を回顧し,心の中で共に生きていることを確かめる作業. グリーフケアの一環として昔の人はこのような行事を設けたのではないかと考えます。
キューブラーロスの提唱した「死の受容・五段階」があります。
すなはち、終末期の患者が死の到来を知らされたときに起こる心の葛藤で
否認→怒り→取引→抑うつ→受容
の五つの過程となります。
私は、患者(故人)だけでなく、患者を支える肉親にも、同様の心境変化があるのではないかと考えています。これは故人と結びつきが強い家族ほど、顕著に表れるものではないでしょうか。
大切な人を失った悲しみ、喪失感。
このグリーフが徐々に解消され、故人の存在が自分の人生の中で永遠に生き続けるようになる「受容」の段階まで平均で約1-2ヶ月を要すものではないかと思います。
四十九日という慣習は、遺族が故人の死を受け入れる通過点の中で、宗教者や親戚の力を借りて、故人のグリーフケアを思う存分行うために設けられた場であるのかなとも感じました。
母親との早すぎる別れは大変悲しいことではありますが、母親は私たちの心の中でこれからもずっとずっと生き続けてゆくことでしょう。
法要から数日後に、地元の皮膚科を受診しました。私は内科医ですが、皮膚科は専門外なので、診てもらったほうがよいかなと思い訪問しました。
地元の皮膚科のK先生は、私が子供の頃からお世話になっている先生で、笑顔が素敵な先生でした。患者の立場になって良くわかるのですが、患者は医師の顔色をとてもよく見ています。医師が「笑顔であるかどうか」「話を聞いてくれそうな雰囲気があるかどうか」はとても大切なことであると思います。
私が大学受験の頃、K先生はご年配になられ、頭髪も真っ白でした。
あれから20年、K先生は恐らくこの世には居ないだろうなあ、、と失礼ながら考えていました。娘さんが皮膚科医になられて診療所を継がれているものと勝手に思っていましたが、、
生きておられました!(笑)
しかも、20年前と変わらない笑顔で !
頭の色は白から白+紫へと変化していました(笑)。高貴な感じ。
私のことも覚えてくださっていて、少しだけ昔話で盛り上がりました。
ご高齢であるにもかかわらず、診療も精力的にされており、最新の皮膚科の治療法についてもご教授いただきました。
お会計の時に、院長夫人がわざわざ挨拶に来られ、このようなお話をされました。
「10年ほど前のお話なんだけど、、うちで飼っているワンコが逃げてしまって、困っている時に、貴方のお母様がうちの家のワンコを見つけてくれて保護してくれていたのです。あの時はお母さんにお世話になりました。」
私が母親が先月亡くなったこと、今回、四十九日の法要で帰省していることを伝えると、非常に驚かれていました。 地域を支え続ける診療所の存在、そして、母親の生きた証がここにもあったことを再発見することができた夏休みでした。