急性期病院での在宅医療

先日、感動的で示唆に富むお看取りの事例がありましたので共有させていただきます。

89歳女性, オバアYさん。

沖縄在住。

10年以上、肝臓癌を患い、手術や治療を繰り返してきました。

昨年夏、とうとうこれ以上の治療ができないと言われ、主治医からは余命1年程度と宣告されました。

主治医からは中部病院で行う治療はないと言われ、近くの病院を紹介されました。カルテには「何かあったら受診を」と書かれていました。そのクリニックは糖尿病が専門で、訪問診療などは行なっていませんでした。

Yさんは日に日に瘦せおとろえ、体重は30kg程度にまで落ちていました。食事の量はどんどん少なくなり、とうとう自力で食事が取れなくなりました。

心配したご家族はケアマネージャーさんへ相談。中部病院へ救急搬送となりました。

Yさんはかなり衰弱が進み、自分で寝返りをうつことができないほど弱っていました。戦争を生き抜き、7人の子供を育て上げ、胃の手術、度重なる肝臓の手術に耐えてきました。

おばあの最後の願いは

「自分の暮らす、自宅に帰ること。家族と一緒に過ごすこと」

でした。

入院した担当医となった私は、彼女の残された時間が1週間程度であると予測しました。

私はすぐにソーシャルワーカーさんへ相談し、訪問看護、担当ケアマネージャー、病棟看護師などを集めてカンファレンスを開きました。

このカンファレンスは患者さん、ご家族の生活を支援する重要な会議で、入院後、なるべく早く開かれることが望ましいです。

カンファレンスでは、娘さんから、「老老介護で介護の担い手が少ないので、家に帰っても、ちゃんと体を清潔に保てるかが心配です。母はお風呂に入ることが何よりも好きでしたから・・」という意見が出ました。

人生の終末期において、トイレや入浴などいわゆる「保清」はその方にとって重要な選択になってきます。最後まで自分の保清を自分で行いたいという気持ちは、体が衰えても患者さん自身の尊厳患者さんにとって「選ぶことのできる自由」があると、その方は人生の終末期にあっても穏やかに過ごすことができます。

選ぶことのできる自由とは「両親尊き、保て役割、委ねようかな」と覚えます

両 りょう :療養場所はどこか?

親 しん : 心落ち着く場所は?

尊 とうと: その人にとって大切にしていることは何か?(尊厳)

希 き : 希望は何か?

保て : 保清はどうするか? トイレ、お風呂はどうしたいか?

役割 : その人が大切にしている役割とは?

委ね : 自分の役割を委ねることはできるか?誰に委ねるか?

養 : 食事が口から摂れなくなった時、栄養はどうするか?

金 :自分のお金はどうするか?

私はご家族に対してこのようにお答えしました。

「お母様はお風呂に入ることが何よりもお好きだったのですね。ご家族はお母様がおうちに帰った時にお風呂に入れてあげる人がいないことがご心配なのですね。おうちに帰った時にお母様の希望が叶うよう、訪問入浴などのサービスを検討しましょう」

こうして、Yさんはカンファレンスから2日後に自宅へ退院の予定となりました。

ところが、カンファレンスの翌日朝、Yさんの容体は急変しました。血圧が測定不能となり、呼吸も弱くなり、「下顎呼吸」となりました。この呼吸が始まると、予後はおおよそ24時間以内の可能性が高まります。担当していた研修医は私に

「Yさんはかなり厳しい状況で、自宅退院は厳しいと思います」と報告しました。

私はYさんのお部屋を訪室し、診察を行いました。早朝まであった意識はなく、手首の脈は触れず、呼吸は今にも止まりそうな状態でした。私はYさんに残された時間は1−2時間であると判断しご家族に説明しました。

「残念ながら残された時間は1−2時間だと考えられます。このまま病院でお看取りしますか?それとも、大急ぎで今からおうちに帰りますか?」

ご家族は悩んだ末、

「母親は明日、家に帰ることを本当に楽しみにしていました。今もきっと家に帰りたいと思っているはずです。今からでも帰れないでしょうか?」

私は「わかりました。訪問看護やケアマネージャーと連絡を取って早急に手配いたします。帰るための救急車、酸素も準備しましょう」

と答えました。

私はすぐに担当のソーシャルワーカーへ連絡し、家に帰るための車の手配、訪問看護へ連絡して自宅での受け入れ準備を開始しました。前日、酸素吸入はしていませんでしたが、この日は呼吸が弱くなっており、酸素を2L/分で吸入していました。私は、たとえ酸素の値が低くてもご本人は人事不省の状態で呼吸困難感はほとんどないと判断しました。しかし、急に酸素を外して帰宅することも早急すぎると考え、病棟にお願いして酸素ボンベを拝借し救急車に搭載しました。

退院を決断してから、病院を出発するまでわずか40分でした。全ての病院スタッフ、訪問スタッフの心が一体となって迅速な退院が実現したのです。

決定から1時間以内に自宅に到着した迅速さはまさに「急性期在宅」といえるでしょう。

自宅に帰ると、Yさんを寝かしつけるお布団をご家族が用意されていました。

「この自宅の畳の上に寝ることを母は待ち望んでいたのです。」

病院のベッドに寝ていた時に装着されていた心電図モニター、SpO2モニター、経鼻酸素はすべて外しました。

酸素を取ってすっきりしたお顔になったYさんはお布団に横になって、とても小さな息を続けていました。

高齢で家から出られない夫を始め、3人の息子、娘が枕元に集まり、交互にYさんの手を握られます。

「おかあ、今までありがとう。私たちを育ててくれて、、」

「おかあの中身汁、おいしかったよ。また作ってもらいたかったな。。」

お風呂のことを誰よりも気にされていた娘さんが、ヤクルトを染み込ませたガーゼをお口に含ませると、Yさんは嬉しそうにそれをすすられたように見えました。

お孫さんや長男も到着され、交互にガーゼでお口を拭っていらっしゃいました。

とても和やかで、静かで、温かい時間が過ぎてゆきました。病院で聞こえる酸素の音、モニターのアラーム音はそこにはありません。木洩れ陽の光が畳に届いて、神々しい雰囲気でした。一瞬だけ、時間が止まっているような感覚になりました。病院から駆けつけた看護師長、研修医も静かにYさんの人生の集大成を見守りました。

やがて、Yさんの呼吸はだんだんと間隔がなくなり、やがて動かなくなりました。

「多くの病気を乗り越え、本当によく頑張られましたね。」

家に到着してから、Yさんが息を引き取られるまでの間は15分ばかりでしたが、この時間はYさんにとってもご家族にとっても、一生忘れることのできない、充実した時間になったことでしょう。

今回の自宅退院に際して、迅速に協力、対応してくださった病院スタッフ、訪問看護はじめ在宅スタッフの方々に心より御礼を申し上げたいと思います。

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