沖縄のご老人とベートヴェン:月光

〜ピアノソナタ「月光」🌙〜
 こんにちは。今日は久しぶりに音楽のお話をしたいと思います。私の担当する患者さんと思いがけず、音楽についてお話する機会がありました。


 音楽業界はコロナウイルス流行期以降、お客さんを集めてのリサイタルや、練習、コンサートを開くことが厳しくなっており、極めて困難な状況が続いています。私の知り合いの音楽家たちも大変ご苦労されています。苦しい世の中ですが、どうか音楽に対する愛情、音楽家としての誇りを失わず、また素晴らしい生演奏を私たちに届けていただきたいと願っております。

 今年、2020年は「楽聖」と呼ばれる革命児、L.ベートーヴェンが生誕してちょうど250年になります。今年、人類がこのような試練の時代を迎えるのはまさに「運命」だったのでしょうか。


 イサムさん(仮名)は85歳の男性で、沖縄中部の自然が豊かな農家に生まれ育ちました。70年間農業と漁業一本で4人の子供を育て上げました。


 イサムさんは4年前、肺がんが発覚して私の外来を紹介受診されました。肺がんは早期で外科切除が可能であったため、イサムさんは私たちに命を預けてくださいました。手術は無事に成功し、イサムさんはまた、大好きな畑仕事ができるまでに回復されました。


  ところが、手術から2年後、大変残念なことにイサムさんの肺がんは再発してしまいました。手術も困難な部位であったため、内科で抗がん剤の投与を開始することになりました。年齢にできる限り配慮して、副作用が出ないよう、イサムさんが大好きな畑が続けられるように配慮したつもりでした、、しかし、抗がん剤治療は彼の予想以上に辛いものでした。抗がん剤を初めてから数年間、彼は治療に耐え続けました。しかし徐々に病状は進行し、、ある日、とうとう私に向かってこう仰いました。


「先生、今までの先生の熱心な治療には本当に感謝しています。しかし、もう私はこれ以上、治療に耐えることはできません。。最近では体も動かなくなり、大好きはサトウキビも作れなくなった。私は農家に生まれ、ひたすら畑を耕してきました。丈夫な体だけが自慢でした。今、このように動けなくなってしまったのは、これも天命なのかなと思います。私はこのまま、自然のままに、沖縄の土へと還りたいのです。先生、どうか私の望みをお聞き届けください。。」


 彼の、全てを悟ったような穏やかな表情を見て、私は彼の言葉をゆっくり反復したのち、 「イサムさんは大好な畑や海のそばにずっとこれからも居たいと思われるのですね。私も、もうこれ以上、イサムさんが辛く、苦しい思いをされることを望んでいません。に私たちにできることがあればお手伝いさせてくださいね。」とお答えしました。


 イサムさんの望みはもちろん、大好きな畑と海が見える自宅に戻ることでした。しかし、諸事情で自宅への退院は難しくなり、自宅近くの療養病院へ転院することになりました。私は、イサムさんが、せめて最期の時間を誇り高く生きてもらいたいと思い、「ディグニティセラピー」を試みました。このセラピーは、患者さんが昔、最も輝いていた頃や一番大切にしていることについてお話ししていただき、そのことを大切な誰かと共有したり、記録に残すことで、その人の大切なもの「尊厳」を維持する精神療法的アプローチです。


 私がイサムさんの人生について問いかけると、イサムさんは私に物語を聴かせてくださいました。


「私は人生の全てを農業と漁業に捧げてきました。農業だけで子供4人を養っていくことは並大抵のことではなかったです。せっかく植えた苗も、手塩にかけて育てた作物も、台風が一晩来て全て台無しになったこともあります。この時ばかりは辛かった、、心が折れそうになった、、でもここで諦めたら、子供にご飯を与えられない、学校も行かせてあげられない。台風が何回来ようと、諦めずに何度も何度も、苗を植え続けました。台風が来ない5月までに、できる限り多くの収穫を得ることが大事でした。」と懐かしそうに語るイサムさん。


 私は問いかけました。「昼間はずっと畑仕事で、、夜も海へ行かれたのですか?」

するとイサムさんからこんなお話を聞くことができました。


昼間はずっと畑で働いて、夜は船に乗ってイカ釣りに出かけました。月明かりが海を照らす中、2m、3mを超す大きなイカを釣るんです。これは、もう本当に命がけでしたよ。 実はね、先生。私が子供の頃、内地(本土)から音楽の先生が私の学校へ赴任されたんです。その先生は、私が今まで見たこともないような楽器、そう、「ピアノ」を運んできてくださったのです。 私がその先生から教えてもらって一番記憶に残っている曲が、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」:ムーンライトなんです。私は大人になってからも、ずっと、辛いときには「月光」を頭の中に流しながら頑張りました。特にイカ釣り漁船に乗った時はね。。 漁船に乗って、静かに沖へ出る時は1楽章が流れるのです。そして、イカが餌にかかって、海から船に引き揚げる時が3楽章なんです!イカは大きくて、気を抜くと自分が海に引き込まれそうになる。三人がかりくらいで命がけでイカを引っ張り揚げるんです。この時は3楽章がぴったりなんですよ!はっさびよ(あれまあ)!こんなたくさん話してしまったさ!


 農業と漁業一本で生きてこられたイサムさんから、まさかベーヴェンのピアノソナタ「月光」のお話が聴けるなんて、、音楽の可能性は無限大ですね。ベートーヴェンの音楽は250年経った今でも世界中の人々に愛されているのだなと実感しました。遠く離れたドイツから、地球の反対側にある島国の小さな農村にまで。。今宵は私も「月光」を聴きながら寝ようかな、、あかん、3楽章で興奮して、目が醒めてしまう(^◇^;)

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