苦闘の果てに見えた希望の光・・ジュンさんの生涯

個人情報に配慮し、実際の内容を少しだけアレンジしております。

「辛いこと、たくさんあったけど、生まれてきて良かった、、本当にありがとう」

ジュンさんの生涯はまさに、「病気との闘い」そのものでした。

ジュンさんは16歳の時に胸腺という臓器に悪性の腫瘍(悪性胸腺腫)がみつかりました。

この病気は肺がんほど有名ではありませんが、本当に怖い病気です。

何が怖いか、、肺がんよりも若い年齢で発症すること、何度も再発を繰り返し、患者さんを苦しめることです。ジュンさんの腫瘍も長く、ジュンさんを苦しめることになりました。手術で腫瘍は切除できましたが、その後の放射線治療の後遺症で収縮性心膜炎を発症し、心臓の機能が極端に低下し正常な方の心臓の10%くらいの拍出しかできなくなりました。

また、放射線治療の影響で片方の肺が完全に虚脱してしまい、呼吸不全のため気管切開を余儀なくされました。気管切開を行うことで気道感染を繰り返すようになり、残った健常な肺も気管支肺炎のため十分に機能しなくなりました。

放射線治療は、今でこそ、その恩恵は絶大であり、がん治療に必須の治療でありますが、昔は照射範囲も広く、余命の長い人が受けると長く後遺症として残ることになったのです。

発病から25年が経過しました。ジュンさんは必死で治療を頑張ってこられました。

しかし、心肺機能は衰え、気管切開のため自分の声で会話することが難しくなり、常時、酸素を吸入。夜は陽圧換気が必要になり機械(レスピレーター)が外せなくなりました。

長い闘病生活はジュンさんの身も心もむしばんで行きました。

ある日の病棟での会話。ジュンさんは私の顔を見ておっしゃられました。

「私はまた元気になりたいんです。私はまた元気になって、好きなことをやりたい。妻や子供と一緒にいろんなところへ行きたい。私はただ、普通の生活を送りたいだけなんです。」

「私は絶対に良くなるんです。先生、力を貸してください。死ぬのは怖いから、、悪い話はしないでください。怖いから、、私は前だけを向いて生きていたいんです。」

「先生、私は良くなりますよね?良くなるって言ってください。必ず良くなるって、、約束してください。でないと不安です。」

ジュンさんには最愛の奥様と中学生になる息子、娘がいました。子供の成長を見守りたい。。父親として当たり前の願いすらも、ジュンさんには叶わないのです。

 衰えてしまった心臓と肺。心臓と肺が両方とも機能していない状態は、本当に地獄に近い苦しみでした。(心肺同時移植しかジュンさんに残された道はありませんでしたが、日本で簡単に行える手術ではありません) いっそのこと早く楽にさせてあげたい、、そばで見ていて何度もそう思いました。しかし、ジュンさんは、それを頑なに拒まれ、心臓、肺が良くなる治療を望まれました。

「苦しい、苦しい、、先生、助けてください。」

「痰がでなくて、、苦しい、、先生、何とかして。。これは地獄です。」

「酸素も、呼吸器も、点滴も全部取れるようにしてください。気管切開も閉じて、自分の声で話がしたい。」

「妻を、子供を、この手で抱きとめてあげたい。一緒に散歩がしたい。私は普通の日常に戻りたいだけなんです。先生のことを信頼しています。。どうか、私を助けてください。」

ジュンさんの言葉を前に、何もしてあげられない無力さにいつも心が折れそうになりました。

ただ、ジュンさんの苦しみを受け止め、ジュンさんの1万分の1くらいしか味わえないかもしれない苦しみを一緒に味わうこと、、それしか私にはできませんでした。

歴代の主治医の先生方は誠実にジュンさんに向き合い、懸命の治療を行いました。

闘病から27年が経過しました。

やがて、血圧を上げる薬(昇圧剤)を使っても心臓は動かなくなり、起き上がることも難しくなりました。

私は、ジュンさんに、もしもの時のお話をしておかないといけないと思いました。

このままでは、「ジュンさんは希望と現実の開き」に苦しめられながら、無念な気持ちを残すのではないかと思ったからです。

「先生、また怖い話をするのですか?私は聞きたくありませんよ。そんな話はしないでください。27年間、病気と闘ってきたのです。今でも私が治りたいという気持ちは変わりません。」

私はジュンさんが話し終わるまで、自分からは一言も話さず、ただ話を聴いていました。

やがて、1分くらいの沈黙ののち

「先生、、、教えてください。私はあと、どのくらい生きられるのでしょうか?」

ジュンさんから初めて出た言葉でした。体がもう良くならないということは、ご本人もずっと分かってらっしゃいました。しかし、「良くなりたい、希望を持ち続ける」と話すことで何とか心のバランスを保っていらっしゃったのかもしれません。

私はゆっくりとジュンさんに語りかけました。

「ジュンさん、、私はジュンさんに良くなってもらいたいと願っています。今でもその気持ちに変わりはありません。しかし、私はジュンさんにあと数日くらいの時間しか残されていないかもしれないことを、、こんなことを伝えてしまい申し訳ございません。しかし、私がジュンさんを見捨てることはありません。これからもずっと。」

「先生、、わかりました。教えてくれてありがとう。」

数日後、ジュンさんは妻、と息子を枕元へ呼ばれました。

コロナ禍で面会は厳しく制限されていましたが、主治医グループと病棟師長が特別に許可して実現しました。

ジュンさんは妻と息子の手を両手に握りながら、目をしっかりと開いてこう仰りました。

「人生、、苦しかった、、辛かったけれど、、私は幸せだった。。」

「(妻、息子の名前を呼び) 今までありがとう、、愛してる、、心から、、、、」

妻へ「あなたが奥さんでよかった。また生まれ変わっても一緒になりたい。」

息子へ「お前が生まれてきてくれてよかった、、愛してる、、心から。。。」

その言葉を言い終えるとジュンさんは静かな眠りに入りました。

今まで苦悶に満ちた表情が多かったジュンさんですが、家族へのお別れをしてからの表情は柔和になり、その後は時折、笑顔もみられるようになりました。

ギリギリ、、間に合ったのかな、、私はそう思いました。

苦しみは「希望」と「現実」の開き。

ずっと苦しいまま、最期を迎えることになるのか、、そのことがとても心配でした。

最後の最後に、、ジュンさんは少しだけ穏やかな気持ちになれたのかな、、

自分の想い、将来の夢、命のバトン、、それを信頼できる誰かに託すことで、ジュンさんはご自身の人生の物語を完結させ、尊厳を取り戻されたようでした。

数日後、ジュンさんはご家族に見守られ静かに旅立たれました。

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