もう一度、海が見たい

(個人情報保護のため、事実とは一部異なる内容も付け加えています) 

先日、病棟でお看取りがありました。62歳男性、沖縄の離島に一人暮らしをする男性タケシさんでした。肺がんの診断を受けてから3年半もの間、共に治療行い、病気と闘ってきました。 

 タケシさんは沖縄本島から船で30分のところにある離島に住まれていました。タケシさんは海に囲まれ自然の豊かな島で生まれ育ちました。小さな頃から海を眺めながらゆったりとした時の流れの中で成長しました。成人してからは内地に出稼ぎにいったり、東京の精肉店などで働いていました。しかし、美しい海に囲まれた暮らしを忘れることができず、働き盛りの頃に生まれ故郷の離島へ戻って来られました。

タケシさんの日課は、毎日、海に潜って海や魚を獲ることでした。海のことを熟知しているタケシさんは素潜りでかなり深くまで潜ることができ、サザエやアワビなどの海産物を収穫されました。また、魚を獲ることも得意でした。外来で「沖縄で一番美味しいお魚はなんですか?」と尋ねたところ、「タマンだよ!あれは美味いね」と嬉しそうにお話されていました。

 癌の治療は壮絶を極めました。肺がんが見つかったのは3年半前でしたが、同時に中咽頭がんにも罹患されていることが判明。頸部のリンパ節が腫大し食べ物が飲み込みにくい状況でした。耳鼻科で放射線化学療法を行い、中咽頭がんは奇跡的に完治しました。その後、肺がんステージⅣに対して何種類もの抗がん剤を使用し治療を継続しました。がん細胞のEGFR遺伝子変異が陽性であったため、エルロチニブというお薬を投与したところ、病状は長期間にわたり安定。発見当時は余命は半年ほどと考えられましたが、化学療法が奏功して3年半もの間、生存されました。免疫チェックポイント阻害薬であるアテゾリズマブも使用しました。

 肺がんの治療は主に外来通院行われます。タケシさんは2週間に一度、離島から船に乗って私の外来まで通院されていました。薬による副作用がないか、体調に変化がないか、がんの進展が見られていないかを問診、採血、レントゲンなどでチェックします。タケシさんはいつも「毎日海に潜っているよ。海に入ると気分がいいね」と嬉しそうにお話されていました。体の調子が悪い時も必ず海に行って、彼方まで広がる海を眺めるのが日課でした。「海を眺めていると、心が洗われるね」いつも寡黙なタケシさんですが、海をお話をする時だけは笑顔がこぼれました。

 長期にわたり安定していた肺がんですが、徐々にお薬が効かなくなり、状況は厳しくなりました。最新の免疫チェックポイント阻害薬であるアテゾリズマブも使用しましたが、肺がんの進行を食い止めるにはいたりませんでした。島で一人暮らしのタケシさんは、島で生活してゆくことが厳しくなりました。ある日の外来日、いつもの笑顔はなく肩で大きく息をされ苦しそうな様子でした。体温を測ると39度あり血圧も90台と低下がみられました。レントゲンで肺炎がみつかり、即日入院となりました。体はやせ細り、体重は38kgまで落ちていました。タケシさんのお迎えが近いことは誰の目にもわかりました。タケシさんは「元気になって島に帰りたい。もう一度、海が見たいね。また先生の外来へ通院したいね」と仰りましたががその願いが叶うことはありませんでした。

入院後、私たちは肺炎の治療を行いましたが、肺がんは全身に転移しており、体力は著しく低下。がんによる痛みも相まって日に日に衰弱されました。召し上がっていた食事もほとんど摂れなくなり、ついに一滴の水すらも飲めなくなりました。島への帰還は望めない状況でした。ご本人は静かに目を閉じて、眠っていることが多くなりました。それでも私が呼びかけると右手を上げたり、瞼を動かしてそれに応えようとされました。ご家族に「ご本人のご様子からは、今は痛みや苦しみはないように思えます。とても穏やかに過ごされています。おそらく、離島の海を眺めていらっしゃるのでしょうね」とお声かけしました。

 お別れの日がやってきました。その日の夜、タケシさんは激しく痙攣(けいれん)されました。苦痛を取る治療に移行してからは詳しい検査は行なっていませんでしたが、脱水による電解質(ミネラル)の異常、肺がんの脳転移などが考えらえました。けいれんは終末期の患者さんに時々見られます。けいれんで患者さんご本人は苦痛を感じていない(意識レベルも低下しているので気づいていない)ことが多いのですが、周りで見ている家族などは非常に心配されます。タケシさんは血圧も低く、呼吸も非常に弱い状態でししたので痙攣止めのお薬を使うと呼吸がさらに弱くなってしまう可能性もありました。当直医の先生は非常に難しい判断に迫られました。結局、ご家族に薬の副作用を説明した上で、少量の痙攣止めを使って経過を観察することになりました。その後間も無く、タケシさんはご家族に見守られながら永眠されました。私は夜間不在でしたが、内科のインターン、レジデント、シニア当直の先生が連携して対応してくださり、ご家族への説明も丁寧に行なっていただきました。私が出勤した時、ちょうど、タケシさんが病院を出発される「お見送り」の時でした。タケシさんのお体は長い闘病生活で非常に軽くなっておられましたが、過剰な輸液などは控えていただので浮腫みなどはなく綺麗な状態でした。「タケシさん、長い間お疲れ様でした。やっと島に帰れますね。どうぞゆっくりと海を眺めてくださいね。」私は静かに語りかけていた。

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