一人暮らしでも最期まで自分の望む場所で

先日、一人暮らしの高齢男性を在宅でお看取りをさせていただきました。

 昨今、超高齢、多死時代が取沙汰されるようになり、2025年には1年間で現在の約1.5倍(約150万人)の方がお亡くなりになると推定されています。その多くの方は高齢、独居で身寄りがなく、社会からも孤立しがちです。彼らの苦しみは気づかれないことが多く、無縁社会の到来が危惧されています。

どんな病気を持っていても、どこに住んでいてもすべての人が人生の最期まで穏やかに過ごせる持続可能な社会は実現可能なのでしょうか?

Fさん(80歳男性)は肺がん、間質性肺炎に加えて、消化管穿孔を合併されていました。

初めて、自宅へお邪魔した時、患者さんは古いアパートの一室に設けられた、ベッドに横になっておられました。

20年前に離婚したはずの、元妻が彼を献身的に介護していました。

沖縄では、昔、離婚した独り身の夫が病気になった時に、元妻が介護に行っているケースが時々あります。

内地の人間(ナイチャー)からすると、「え、そんなバカな?」と思うかもしれませんが、これは沖縄と本土の文化の違いではないかと思います。海外ではこのようなケースはあるのでしょうかね・・

 Fさんは60歳まで建築関係のお仕事をされていました。献身的な妻に支えられ、子宝にも恵まれました。ところが、60歳になって定年となり、退職金を受け取った瞬間、彼は家族の元から姿を消したのです。この理由は、詳しくはお伺いすることはできませんでしたが、、おそらくご夫婦にしかわからない何かがあったのでしょう。夫婦にも様々な形があります。

 Fさんの消息は途絶えたまま、10年以上の月日が流れました。戸籍上も夫婦の関係はいつの間にか解消されていました。

 ある日のこと、Fさんの娘が自宅の近くを歩いていると、バス停でバスを待っている1人の男性がいました。その男性になんとなく見覚えがあった娘さんは顔を覗き込むと、、Fさんでした。

「おとう!いままでどこで何やってたのよ!?」

再会の感動はすぐに怒りに変わりました。

「私たちのことを放ったらかして、勝手に出て行って!お母さんがどれほど悲しんで苦しんだかわかっているの?」

娘さん、息子さんはFさんを許すことはできませんでした。

奥さんはFさんのことを色々知っていたのかもしれません。

Fさんは古いアパートに1人で暮らしておられました。

やがて、Fさんは肺がんにかかり、私の元へ紹介受診されました。

私は抗がん剤の治療をおすすめしました。

Fさん「私は、今まで自由に生きてきました。家族にも迷惑をかけてしまいました。でも、私は後悔はしていません。これからも自由に暮らしたいのです。がんの治療は望みません。痛みなどの症状が出ないようにお願いします。」

私はFさんの意志を尊重して、外来で症状のコントロールに専念することにしました。

外来受診には、常に元妻Yさんが寄り添っていました。

Yさんはお家からFさんの住むアパートまで1時間半くらいかけて迎えに行き、一緒に病院へ連れていきました。Yさんは車の運転ができないので、バスを何台も乗り継いでFさんを送り迎えに行っていました。

Fさんの娘、息子はYさんがFさんのお世話をすることに反対していました。

「おとうが自分で出ていったんだから、おかあは行かなくてもいい!おとうは最後まで一人がいいんだから。」

それでも、YさんはFさんを放ってはおけず、毎日ご飯を作ってFさんの自宅まで届けていました。往復3時間の道のりです。

やがて、Fさんのがんは進行し、自力で歩けないほど体が弱ってきました。外来でも「体に力が入らず、食事が取れない」と苦しそうに訴えられました。

見かねた私は、「ご自宅で穏やかに過ごせるよう、看護師さんとご自宅へ訪問しましょうか?」とお話ししました。Fさん、Yさん「ぜひおねがいします」と言われ、訪問診療、訪問看護を導入しました。

当院の訪問診療は、特定の訪問看護チームを持たず、患者さんのご自宅から近い、地域の訪問看護とその都度連携しながら診療に当たっています。これは、中部病院の医療スタッフが地域の訪問看護ステーションから、その地域の特性や人々の暮らしについて学び、地域に根ざしたいと考えているからです。

 私は口腔外科チームとともに週に1回のペースでFさんの自宅へ訪れ、診察、口腔ケア、処方の調整を行いました。ご本人は比較的穏やかに過ごされていました。

しかし、遠くから毎日お食事を作って運んでくるYさんの疲労は日に日に蓄積してゆきました。

Yさん「子供達にね、止められているんですよ。おかあは、もう行かなくていい!ってね。でも、Fさんは私の作った料理しか食べたくないって。それに、、縁あって私はFと結婚しました。色々あって離れ離れにはなりましたが、私はFのことを見捨てることはできないんです。Fのことは私の代できっちりと終わらせたいんです。」

私は「YさんはFさんのことを見捨てることはできないのですね。FさんのことはYさんたちの代でしっかり終わらせたいという思いなのですね。 お気持ちを話していただいてありがとうございます。できればYさんも少しは休息できるよう、ヘルパーさんや宅配の食事サービスを利用するようにしましょう。」

そして、訪問看護と連携して、Yさんの負担を少しでも減らせるよう、ケアマネさんと相談して食事の宅配サービスをお願いしたり、多職種で時間をずらしてFさんの安否を確認するなど少しでもYさんの介護負担を軽減しながら在宅療養を支えました。

ある日のこと、訪問看護Oくんから「Fさんが突然、お腹を痛がっています。レスキューのモルヒネも効きません!先生、往診をお願いできませんか?」と連絡がありました。

私は午前の外来を終えるとFさんの自宅へ往診しました。

いつもは穏やかなFさんが、苦痛に顔を歪めています。お腹は痛みと緊張でカチカチに硬いです。四肢は冷たく、じっとりと冷や汗をかかれています。血圧はいつもより低く、脈は早く、浅くて大きな呼吸を繰り返しています。私は「嫌な予感」がしました。

このまま自宅にいても、痛みは改善されないと判断した私は、

「このままでは痛みに苦しむことになります。一旦病院を受診して、痛みを止める処置をしましょう」とFさんにすすめました。Fさん、Yさんはそれに同意されました。

嫌な予感は的中していました。病院でCT撮影したところ、Fさんは消化管穿孔(食べ物が通る管が途中で破れている状態)を起こして、敗血症(血液の中に細菌が入って全身に炎症が起こっている状態)になっていることが判明しました。

外科医師からは「治療するためには手術しかありませんが、肺がん末期のFさんには全身麻酔の手術には耐えられないでしょう」と言われました。

Fさんは入院となり、痛み止めの点滴、抗菌薬が開始されました。しかし、消化管は破れたままなので食事は禁止されました。このまま治療を継続しても、消化管は治る見込はなく、回復は絶望的でした。

Fさんは弱々しい声で「もう食事もとれない。何も自由にならない体になってしまった。もう生きていても仕方ない。」と言われました。

私は「Fさんは自由のない体になってしまわれて、もう生きていても仕方がない、そう思いなのですね。。Fさんの夢や支えがあればお聞かせください。」と申し上げました。

Fさんは「もう一度家に帰りたい、、Yと一緒に。先生、なんとかお願いします。」

消化管穿孔+敗血症の状態で治療を中断して帰宅することは、間違いなく死を意味することでした。痛みは薬でコントロールされています。しかし、入院でも回復が見込めない今、私はFさんの最後の望みを叶えて差し上げたいと思い、Yさんに相談しました。

Yさんはかなり迷った末、「・・わかりました。家に帰りましょう。アパートは賃貸なので亡くなったとき大家さん迷惑がかからないか心配です。あと、階段が急なので寝たまま家に帰れるのかな、、」

私は、「お亡くなりになっても私と訪問看護師さんが最後の診察にお伺いします。大家さんのことがご心配であれば、私たちがご挨拶して説明することも可能です。階段は、私たち男性スタッフで担いでベッドまでお運びします」とお答えしました。

退院の日、訪問看護、ケアマネージャー、福祉用具の方と私が家に先回りして、Fさんの帰りに備えました。これらの在宅チームは普段から勉強会などでほとんどが親交のある人たちでした。普段から共に学び、顔の見える関係を作っておくことは本当に大切です。

病棟の師長も心配して私の後を追いかけて自宅まで来てくださいました。

介護タクシーから車椅子でスライド移動させ、狭くて極めて急峻な階段を男で3人で慎重に担いでお部屋まで運びました。アパートの入り口は極めて狭く、車椅子はギリギリ通過しました。自宅のベッドに横になったFさんは、ほっと安堵の表情を浮かべ「、、帰ってきたね、、ありがとう」とおっしゃいました。

Fさんの横には元妻のYさんがぴったりと寄り添い、Fさんの頭を優しく撫でておられました。

Fさんは痛みを感じることなく、数日間自宅で過ごされた後、静かに旅立たれました。

朝にYさんがご自宅へ訪問すると、Fさんはベッドに横たわったまま、生き絶えておられました。Fさんの表情はとても穏やかで、かすかに微笑まれていました。

YさんはFさんの頭を優しくなでながら「父ちゃん、お疲れ様でした。最期まで父ちゃんらしく生きましたね」と語りかけておられました。

私は「Fさんは最期まで穏やかでしたね。きっとYさんの支えがあったからだと思います。本当にお疲れ様でした。」

と申し上げました。

一人暮らしの方を最期までお家でお支えすることは容易ではありません。

今回のケースは、病状的にも在宅での看取りは不可能に近いと考えられたケースでした。

訪問看護師、ケアマネージャーをはじめとする、柔軟で経験豊富な在宅医療スタッフ達の支え、そして何よりも患者さんの生き方を認め、寄り添ってくださった元妻の存在が、不可能を可能にした。そのような事例であったのではないかと思います。

私たちは、どんな病気を持っていても、どこに住んでいてもすべての人が人生の最期まで穏やかに過ごせる持続可能な社会を創りたいと考えています。私たちとともに伴走してくれる仲間を増やしてゆきたいと思います。

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