にんじんアイランド

先週末は約2年ぶりに津堅島の診療応援に行ってまいりました。

津堅島は沖縄本島から約5kmの沖合に位置する人口約400人の小さな島です。

主な産業は農業漁業。最高標高が40mに満たない平坦な島で、根菜類栽培に適した土壌であったことから、現在はニンジンの生産が盛んで、島の面積の1/3がニンジン畑となっておりキャロットアイランドの別名があります。ニンジンは甘みがあり高品質で、沖縄県内で生産するニンジンの2割は津堅島で収穫されているそうです。

津堅島の診療体制は診療所が一ヶ所で医師1人、看護師1人です。戦後、約70年間に渡って私の働いている中部病院から島で働く医師を派遣していました。ところが、離島へ派遣する医師の不足で今年度は常勤医がおらず、中部病院から医師が交代で診療に当たっています。

島でたった1人の看護師、Nさんは私の大切な音楽仲間で、3年前から一緒に演奏活動を行なっておりました。彼女はオーボエの名手で、いつも素敵な音色を聴かせてくれます。また看護師としても素晴らしく優秀で、患者さんや介護施設のスタッフからも絶大な信頼を寄せられています。とても私より10歳も年下には見えないほどのしっかり者です。

私とN看護師には前からの夢がありました。それは、津堅島のデイサービス「憩いの家」でヴァイオリンとオーボエのヂュエットによるミニコンサートを開催することです。午前中の診療を終えて、診療所でリハーサル。Nさんは任期中は島から出ることができないので、この日が初合わせになります。私のヴァイオリンにアドリブでオブリガードを入れてくださるNさん。やはり素敵な方です。

デイサービスで入居者の方に囲まれて演奏を開始。緊張するとボウイングが硬くなってしまうのが私の悪い癖です。いつも演奏の表情が真剣すぎるので、微笑みも大切にしながら何とか演奏を終えることができました。

 島民のかたはヴァイオリンの音色はもちろん、ヴァイオリン自体、見るのが初めてという方がほとんどです。みなさん、初めて聴くヴァイオリン、オーボエの音を楽しんでくださったのではないかと思います。

演奏曲目

 川の流れのように

 涙そうそう

 ダニーボーイ

 てぃんさぐぬ花

 午後の診察ではこの島最高齢の男性(101歳)の「通称KING」が登場しました。自力で歩行しながら診察室へ。どう見ても80歳くらいに見えます。カルテを開くと、5年前から肺腺がんの記載が、、しかしそんなことをKINGが気にするはずもなく、処方を受け取ると悠々と立ち去って行きました。

 この日は十五夜のお月見の日でした。島では毎年、観月の敬老会が開催される日であったため、私たちもお祭りに参加させていただきました。

島の代表のかたがウチナーグチでご挨拶され、宴が始まりました。

津堅島ではこの10年間で約100名の方がお亡くなりになられ、島の人口は500人から400人へ減りました。一方、10年間の間に島で生まれた赤ちゃんはたったの1人だけ。島民のほとんどが高齢者で、限界集落と言わざるを得ません。それでも島の人々は海を愛し、自然を愛し、自由を愛しながら、穏やかに暮らしておられます。

県外からこの島へ移住してこられた方は約10名ほどおられます。

台湾人の Cさん(86歳は)、30代のころ、たまたま乗った船が津堅島へたどり着き(そんなことってあるの?)、この島へ上陸。その時の感動が今でも忘れられないそうです。

「私は台湾で生まれて、長い間、大阪で働いていました。それまで、海といえば黒くて濁っているものだと思っていた。この島に着いて、ビーチを歩いた。透明でエメラルドグリーンな色だった。足元には魚がいっぱい泳いでいて。ビーチにはだれもおらず、私と妻だけだった。この感動はいまでも忘れられないね。それから私は、この島に何度も通うようになり、気がついたらこの島に住んでいたんだ。人生はどこに分岐点があるか分からないからね、、」

そのほか、島には中国の満州でお生まれになり、看護師として中国で働き、終戦後にこちらへ戻ってきたときに島の男性と結婚して移住したという高齢女性もおられるそうです。その女性は今、施設でその波乱の生涯を終えようとされています。本当に数奇な運命を感じずにはいられません。

消防団をしている島民の方から「やはり、常駐の医師がいないのはさみしいね。みんな代診の先生には本音は言えないからよ。どうかずっとこの島で働いてくださいよ。」と声をかけられました。

島民の切実な心の声を聞いたような気がしました。

 宴もたけなわになり、沖縄の定番、三線+カチャーシーが始まりました。

次々に入れ替わり立ち替わり、踊り始める人々。

もともと、歌と踊りがあまり得意でない私は、N看護師に「ヴァイオリンで飛び入り参加できないかな」と聞いて見たところ、主催者と交渉してくださりOKとのこと。

三線のチューニングは西洋楽器の442Hzよりもはるかに低い波長であるため、三線の音程にヴァイオリンをチューニングしてから演奏開始!

安里屋ユンタ

オリオンビールの歌

十九の春

その他(曲名不明)

三線の名手たちに混じって楽しく演奏させていただきました。

宴会が終わった後は、島内唯一のカラオケ居酒屋へ。演歌が中心ですが、皆、超絶ハイレベルな歌唱力!ヴィブラートがすごすぎる。選曲が渋すぎる:天童よしみ、吉幾三、北島三郎、加山雄三、、、

夫との馴れ初めを熱く語る、元気なおバアや、「カラオケしてたらサンダル無くなってもうた」と裸足で帰路につく男性(上半身は裸)、「明日はまた朝から仕事でよ」と言いながら飲むペースが一向に落ちない消防団。島での生活は厳しいかもしれませんが、心は豊かな人々と交流の時間が過ぎてゆきました。

ようやく帰路につき医師住宅で一息ついた頃、オンコール携帯から電話が!

「さっきカラオケ屋で歌っていたおばさんが、帰り道に転倒して腕を骨折した」とのこと。大急ぎで準備をして、途中、白くて大きな犬に追いかけながら診療所へ。おばさんはやはり前腕骨がバキバキに骨折しており、応急処置をしたのち、翌朝の高速船で私と共に本島にある親病院へと向かわれました。

こうして、信じられないほど濃厚な1日は過ぎてゆきました。離島診療所の応援は、私が医師を志した時の気持ちを思い出させてくれる場所です。医療の原点を見つめ直すという意味で、今後も続けてゆかねばならないと思いました。

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